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​平蛾ノート

(作:松尾祐輝)

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随分昔のことだ、私、平蛾螈蔑は優秀だが、なんの変哲もない企業に勤めるただの一研究員だった。だが、そんな私の優秀さを聞きつけた役員の一人から、私に出世のチャンスが与えられたことがあった。
「平蛾くん、君に任せたいプロジェクトがある。君には、我が社の従業員に薬物投与と改造手術を施して、あいつらが休むことなく働き続けることができるようにして欲しい。君はとても優秀だと聞いているぞ。このプロジェクトを成功させれば、君の出世は約束されたも同然だ。どうだね平蛾くん、このプロジェクトを引き受けてくれるか?」
私はその提案に歓喜した!ついに私の優秀さが認められたのだと!
「は、はい、ぜひ私にお任せ下さい!あなたのご期待に添えるように、このプロジェクトを成功させてご覧に入れます!」
「そうか、期待してるぞ、平蛾くん」
そうして、私は薬物投与と改造手術による人体改造・強化を上層部からの期待に応えるように行ってきた。
しかし、肝心の実験の結果だが、私や上層部が期待したほどの結果は出なかった。所詮、生身の人間に薬物投与と改造手術を施しただけだ、どれだけ改造や投薬をしても、人間の体で出来ることなどたかが知れている、強化を施したところでどうにかなるというものではなかったのだ。
そうして1年半ほどが過ぎた頃、あの役員に呼ばれた。
「平蛾くん、君は随分と頑張ってくれているが、そろそろ成果を出してくれないと困る。我々は、このプロジェクトだけに時間を取られるわけには行かないからな。プロジェクトに懐疑的な声も出てきたことだし、予算の方も今までのように出すことはできない。このまま成果が出ないようであれば、このプロジェクトは凍結せざるを得ない。そうなれば、君の出世への道も閉ざされることになる」
この話を聞き、私は動揺した。
「お、お待ち下さい!なんとしてでも成果を出しますので!どうか、もう少しだけ時間を下さい!」
「わかった、もう少しだけ待ってやろう。頼むぞ平蛾くん」
研究成果が芳しくないため、上の連中は私の研究に回す予算を減らした。この頃から、私は会社とあの役員に不満を持つようになった。それに、予算不足のせいで研究以外に予算を回す余裕がなくなり、暗い研究室で僅かな明かりを頼りに、無理をして研究を行っていた。それが祟ったのか、私の目は少しずつ悪くなっていった。
そんな時だった、私が職場から帰る途中、ふと街灯を見上げると、その周りに蛾が群がっていた。それを見た時に閃いたのだ、もし人間と虫や動物の遺伝子を融合させることができれば、超人的な改造人間ができるのではないかと、そう考えた私は早速実験を始めた。
はじめのうちは動物や虫同士での融合実験を行なった。最初の一月・二月の間、融合実験は失敗が続いたが、三月を過ぎたあたりから実験が成功するようになった。そうして半年が過ぎた頃、私は自身の体に改造を施すことにしたのだ。結果から述べれば、改造手術は成功した。私は生きているし、何よりすこぶる体の調子がいい!悪くなったはずの目も、手術前よりもよく見える。
私はこの改造手術の成功を、あの役員に報告することにした。
「平蛾くん、その格好はなんだ?私は君の遊びに付き合っている暇はない」
彼は、私が遊びで着ぐるみでも着ているとでも思ったのか、怒っていた。だが、この遺伝子融合実験の成果を聞けば、喜ぶに違いないと思った。
「いいえ、これは遊びなどではありません!れっきとした実験の成果です!」
「成果?君のそのウサギのようなよくわからない姿がか?私が指示したのは薬物投与と改造手術による社員の強化だったはずだ、どうやったらそんな姿になるんだ」
「ええ、確かにあなたからはそう指示を受けました。しかし、生身の人間に対する薬物投与や改造手術では限界があります。そこで私は閃きました!虫や動物の遺伝子を人間と融合させることで超人的な力を持った改造人間を生み出すことができるのではと、そう考えたのです!」
私が興奮しながら実験の成果を報告していると、怒声を浴びせられた。
「もういい!人体改造を施して虫人間にするところまではいいとしよう。だが、ここまで珍妙な格好では改造の隠蔽は難しいし、何よりそのよく分からない格好で私の周りをうろちょろされるのは、はっきり言って気味が悪い!現時点を持って、このプロジェクトは凍結する!」
豹変した彼の怒声と、その言葉を聞いて、私は後頭部を殴りつけられたような衝撃を受けた。
「そんな!では私の立場はどうなるのです!」
「立場?そんなことは、私に言われなくても分かるだろう!お前が評価されることは今後一切無い!」
私は言葉を失った。この男は私の研究成果を評価せず、あまつさえ気味が悪いとまで言ったのだ!
「これ以上お前と話すことはない!今すぐここから出て行け!」
これ以上、話が聞き入れられないことを理解した私は大人しく引き下がることにした。
もはや、この会社では私の研究成果は用いられることはなく、出世の道を絶たれたことを理解した私は、それ以上あの会社にいる意味を見いだせなくなり、その日のうちに退職届を出し、会社を去った。
その翌日から私は、この研究成果を実践できる企業を探した。いくつもの企業にこの成果を武器にして売り込もうとしたが、大半の企業には門前払いを受け、研究成果に興味を持った連中も私の姿を見て態度を変え、追い出す始末だった。あの様子だと、あいつらは自分たち自身が改造されることを恐れたのだろう。

そんなこともあって、私が、この研究成果を用いるところは、どこにもないのではないかと諦めかけたその時、私の研究成果を用いると言った企業があった。その企業の名は、総合商社セルだ。もともとセルの社長は、ブロッサムカンパニーという結社の首領だったらしいが、組織を解体してこのセルを立ち上げたと聞いた。
興味を持った私は総合商社セルに研究成果を売り込んだ。
「君が平蛾くんかね?噂は聞いているよ。なんでも、君は人間を虫や動物の遺伝子を融合させて怪人を作るのだと言うじゃないか。君はその成果を武器に自身を売り込もうとしているそうだが、あまり良い返事はもらえていないようだね」
「そうなのです!あいつらは私の研究成果を鼻で笑い、成功例でもあるこの素晴らしい私の容姿までも貶すのです!」
「落ち着き給え平蛾くん。君の気持ちがわからないわけじゃない、以前私が首領だった組織では部下が無能者しかいなくてね、それで嫌気がさして組織を解体したんだ。だから、君の成果が正当に評価されないというもどかしい気持ちは分かるつもりだよ」
私はこの話を聞いて確信した。この方であれば、私の研究成果を正当に評価し、用いてくれるだろうと。
「も、申し訳ありません。少し、取り乱しました」
「気にすることはない、誰でもそういうことはあるからね。さて、ほかにも聞きたいことがあるのではないかね?」
そうだ、なぜこの方は私の研究を必要としているのだろうか?
「では、差し支えなければ、なぜ私の研究を必要として頂けるのでしょうか?あなたの目的は何なのですか?」
「いい質問だ。なぜ君の研究が必要なのかという問いだが、私の野望を達成するために役立つと考えているからだ」
「野望、ですか」
「そうだ。世界を征服するという壮大な野望さ」
世界征服、確かにこのお方はそう言った。普段の私であれば、世界征服などという話を間に受けることはないが、このお方が私の生み出した改造手術を用いれば、世界征服も夢ではないのでは?そう思えた。
「どうか私をあなたの配下に加えていただきたい。私の技術を、あなたの世界征服計画の役に立ててみせます!」
「どうやら、やる気になってくれたようだね。では君を採用し、総務部長になってもらう。君の技術を存分に振るって、我が社の為に役立ててくれたまえ」
私の人生の中で、これほど嬉しかったことはない!私の研究成果がついに認められたのだ!
「ありがとうございます!あなたのご期待に添えるよう、全力で実験を行ってまいります!」
「そうか、期待しているよ。ほかに何かあるかな?これ以上ないのであれば、面談は終わりにしようと思うが」
その言葉を聞いた後、私はある違和感に気付いた。あのお方は私の目の前にいるというのに、顔を見ていない。顔に影がかかっていて見ることができないのだ。
見たい。私を認めてくれた、あのお方の顔を見てみたい。
「でしたら、あなたのお顔を見せていただくことはできませんか?」
そう私が口にした時だ。
「平蛾くん、申し訳ないんだが、今はまだ顔を見せることはできない」
「今は、ですか?つまり、後々顔をお見せしていただけるのですか?」
「そういうことだ、今はまだその時じゃない。その時が来たら、君が私の顔を見ることもあるだろう。その時まで我慢したまえ」
「わかりました。それでは、このへんで失礼致します」
そうして私は、あの方のオフィスを後にした。
これ以降、私はあの方と顔を合わせていない。あの方から命令がある場合は、書類が私のオフィスに届くようになっているのだ。
私はオフィスに届く命令書に従い、この総合商社セルの幹部に改造を施してきた。
「こんにちは、あなたが平蛾博士ですね。本日はよろしくお願いします」
丁寧に挨拶をしたこの男はニャロース。資産管理部の部長で猫の姿をしている怪人だ。それともうひとり、私を怪訝そうな表情で見つめているのはニャロース部長の弟、資産管理部の不動産管理課長のニャンヴィーだ。
「兄さん、ほんとうにこいつの改造手術を受けなければならないのかい?」
「いや、社長からの命令では投薬だけだと聞いている。だから心配するな」
資産管理部のニャロースとニャンヴィーの兄弟は不思議なことに私が手を加える前から猫のような姿をしていた。私の他にもこの研究を成功させたものもいるのかと考え、奴らに尋ねてみた。
「一つ聞きたいのだが、君たちのその姿は生まれた時からなのか?それとも私のように改造手術を受けたのか?」
そう聞くと、私の事を疑っているニャンヴィーが突っかかってきた。
「平蛾課長、なぜそのような事を聞くのですか?そのことが今回の投薬改造に関係しているのですか!」
「落ち着けニャンヴィー、申し訳ないな、平蛾博士。弟は少し気性が激しくてね。しかし、どうして私たちのことを知りたいんだ?なにか気になることでもあるのか?」
「いや、改造手術を受けてその姿になったというのであれば、私よりも先に実用化した人物が居たのかと考えて気になっただけだ」
「そういうことか。だが、私たちは生まれつきこの姿だ。普通の人間とは違う姿だが、それほど苦労はしていない」
「そ、そうなのか。聞かせてくれてありがとう。これ以上は詮索しない」
「そうしてくれると助かる。私でも、弟を抑えるのは面倒だからな」
その後は特に会話もなく、投薬が終わったあと、すぐに実験室から出て行った。
それにしても、どうにもああいう輩の相手は苦手だ。腕っ節ばかりに頼った実力主義者だ。特に、ニャンヴィーは明らかに私を見下している!今に見ていろ、いつか必ず私の前に跪かせてくれる!
まあ、今はそんなことをするほど暇ではない。あのお方からの指示もあり、こいつらの身体は特にいじるようなことはせず、投薬による身体強化を行うにとどめている。他にもやらなければならない事はたくさんある。こいつらだけに構っている暇はないのだ。
次に行ったのは、産業経済部長の人体改造だ。この男は私と同じで入社して日が浅いようだが、我が社に対する忠誠心と実力が認められて産業経済部長に昇進するらしい。昇進に先立ち、人体改造を施せというのが今回の指示だ。
だが、ニャンヴィーほどではないが、私はこの男が気にいらない。この男がセルに入社した時期は私とあまり変わらないし、入社以前になにか成果があったわけでもないはずだ。にも関わらず、忠誠心だけで出世するようなやつは、正直信用できん。
「今回、あなたは私の手で人体改造が施されるわけだが、なにか聞きたいことはあるかね?」
「ではひとつお聞きしたい。私と融合させるのは何の動物でしょうか」
「カミツキガメだ。忠誠心の高い君にはピッタリだと思うが、どうかね?」
「構いません。では、よろしく頼みます」
その言葉を聞き、私は改造手術を実施した。
二時間もする頃には手術も終了。手術は成功し、彼は我が社の立派な怪人となった。
「手術は終わったぞ。成功だ」
「驚いたな!改造手術を受けるだけでここまで力がみなぎってくるとは!」
喜んでいる彼に、私はある事を告げる。
「そうだ、あの方からの指示で、君に伝えることがある」
「一体、社長はなんと」
「手術の成功おめでとう。本日より君は、産業経済部部長のテースターだ。これからも我が社に忠誠を尽くしてくれ。とのことだ」
「テースター。それが私の新しい名前・・・・いい響きだ。この名前を下さった社長に感謝しなければならないな」
彼はそう言ったあと、私を驚かせた。
「平蛾部長、あなたの手術のおかげで私は力を手に入れることができた。感謝している」
「い、いや、私はあの方からテースター部長に改造手術を行うように言われただけで、あなたに感謝される覚えはないのだが」
「いや、今までの私には力が足りなかった!そのせいで今まで部下をまとめることができなかった!だがこの力があれば、不真面目な部下どもに鉄槌を下すことができる。そうすれば部下どもに、我が社に対する絶対の忠誠心と、逆らうことの恐怖を刻み付けることができるだろう」
私の考えは甘かった。この男の忠誠心は本物だ。今の彼ならば、不満を持つ社員をねじ伏せることができるだろう。とてもじゃないが、彼に目をつけられたら私などひとたまりもない!この男には逆らってはいけない、そう確信した。
私が彼の豹変ぶりに驚いていると、彼は一言言った。
「そろそろ失礼します。仕事に戻らなければならないので」
そう言って、彼は手術室を後にした。
私は今でも彼の笑顔を忘れることはできない。あの恐ろしく獰猛な笑みを・・・・

その後も私はこの会社で人体実験や、動物や虫の生態研究などを行い続けた。新規に入社してくるものは例外なく私の手で改造され、資産管理部のニャスト、我が総務部の首切鎌足、ポッチ、派遣できている下っ端どもを我社の怪人にしてきた。その数年は私の人生で最も充実したものだった。
だが、その充実していた人生に亀裂が生じる出来事が起こった。
新しく入ってきた三人のアルバイトたちの中にヤツはいた。そう、リヴァイザーJだ。
私はいつものように、改造手術を行うために手術室に連れてくるとあいつは騒ぎ始めた。
「おい、ウサギ野郎!おまえ、俺たちをこんなところに連れてきて何する気だよ!」
ウサギ野郎と言われた私は、カッとなって言い返した。
「私はウサギじゃない!蛾だ!私を呼ぶときは平蛾博士と呼べ!」
そうするとヤツも言い返してくる。
「うるせぇウサギ野郎!質問に答えろ!俺たちをどうする気だよ!」
「うるさいのはお前だ!話にならん!高山!こいつを手術台に縛り付けろ!」
私が命令した高山は、派遣社員として在籍している男で、派遣社員の中では最も古参で、派遣の中では一番始めに改造したやつだ。
「え、俺がやるんですか?面倒くさいですよ」
「つべこべ言わずにやれ!それがお前の仕事だろうが!」
「わかりました、やりますから怒鳴らないでくださいよ」
そうこうしているうちにまたうるさいヤツが喚き始めた。
「ふざけんな!ふたりして俺のこと無視しやがって!」
「わかったからもう暴れんなよ。ほら、とっとと手術台に横になれって」
「お前ふざけるなよ!離せって!」
高山がなんとかリヴァイザーJを抑えたあとは、抵抗されたせいで遅れた時間を取り戻すため、すぐに手術を始めた。手術中もいくらかの抵抗があり、時間がかかったが三時間後には手術が終わった。
「はぁ、やっと終わった。おい小僧!手術は成功したぞ、そこに鏡があるから自分の新しい顔を見てみるといい」
私がそう言うと、リヴァイザーJはその鏡に向かっていったが、すぐにヤツのわめき声が聞こえてきた。
「な、なんだこれ!俺の顔が、体も変な風になってる!おいウサギ野郎!一体俺の体になにしやがった!」
「騒ぐな、本当にうるさい。お前の体とサメの遺伝子を融合させたんだ。体や顔が変化しているのは当然だろう」
「ふざけんな!こんな顔じゃ満足に歯も磨けねぇだろ!今すぐ元に戻しやがれ!」
「ええい、黙れと言っているだろう!高山!このうるさいサメを叩き出してすぐに研修を始めろ!」
「ええぇ、今からやるんですか?俺もうすぐ上がる時間なんですけど」
「黙って言う通りにしろ、早く連れて行ってくれ」
そう言うと高山は渋々ながら、暴れるリヴァイザーJを連れて行った。
リヴァイザーJとのやり取りで疲れた私は、残る二人の改造手術を翌日に延期した。
次の日、残った二人の改造手術を実施したが、二人は自分たちが置かれた状況を理解していたのか、抵抗することなく、手術は予定通りに完了した。
昨日の疲労もあって、休憩時間を長めに取ってから研修の様子を見に行くことにした。
休憩後、研修場に来た私が見たのは、昨日とは打って変わって静かなリヴァイザーJだった。その様子を見て、私は高山を呼び出した。
「今日は随分と大人しいな。この様子なら高山、お前にこいつの世話を任せても大丈夫だろう。頼めるか?」
「俺一人でですか?いやですよ。あいつ結構暴力的だし、それに」
私は高山の話を遮って、もう一度言った。
「たのめるか?」
「わかりましたから、怒らないでくださいよ」
語気を強めてもう一度言うと、高山は承諾した。
高山が頷いたのを確認した私は研修場を去り、研究室に戻った。
二日後、高山が慌てた様子で私の研究室に来てその理由を聞いたとき、私は全身から血の気が引いたのを感じた。
「平蛾博士、やばいです。あの新人バイトが逃げました」
この日以降、私はリヴァイザーJと名乗った新人バイトを追いかける日々だ。どうにかアイツを捕まえて、早く研究漬けの日々に戻りたい。

「おじさんこんなの書いてたんだ。でもこれ本当のことなのかなぁ・・・・あっ、丁度いいや。高山、おじさんのノート見つけたんだけど、これほんと?」
 

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