リバースデイ
(作:浅子悠太)

「やあ、目が覚めたみたいだね。実験は成功だよ。」
それが、私が最初に聞いた言葉だった。
(ここは、どこなんだ…?私は一体…?)
「君にはこれからテースターとして、総合商社セルの産業経済部を任せる。頑張ってくれたまえ。」
どうやら私は、この人が言う実験の結果として過去の記憶が無くなったようで今までの自分について全く覚えていない。しかし、私に語りかけるその声を聞いていると、そんな事はどうでもいい、この人に忠義を尽くしたいという気持ちが不思議と湧いてくる。
「分かりました。このテースター、会社の為にこれから尽力していきたいと思います。」
そう、自分が過去にどんな人間であろうとも関係ない。私はこの人の為に命が尽きるまで働くだけなのだから…。
「では、本日の面接は終了とさせて頂きます。面接の結果は後日弊社から連絡しますのでそれまでお待ち下さい。」
「あ、分かりましたー。それじゃ、今日はありがとうございました〜。」
「…ふう、まったく。なんだ今の若者は!あんな舐め腐った態度で面接を受けおって、アルバイトとはいえ会社というものを舐めているのか!これだから最近の若い連中は…」
「まあそんなに怒るなよ、平蛾部長。若い奴ってのは体力だけはあるからな、捨て駒程度にはなるだろ。今は人事課の戦闘員も少ないんだし、そこに入れてやればいいんじゃないか?」
「嫌に決まっているだろ!もし人事課の部署に入れたら私が教育責任を負う羽目になってしまうではないか!そんな事するくらいなら初めから不採用するに越した事はない!」
…やれやれ、また平蛾博士とニャロース部長が喧嘩か。ここは、総合商社セルの本社で、今私は人事課部長である平蛾博士と資産管理部の部長であるニャロースと三人でアルバイトの面接を行っている。
それにしても、平蛾博士も今は人材を選んでいる場合ではないだろうに駄々をこねないで欲しい。それに、今は戦力増加を図る為にも一人でも多く使える駒は増やしておきたい。
「では、平蛾博士。今のアルバイト志望はわが産業経済部が引き取る形でも良いかな?」
「何?まあ、テースター部長がそれで良いのなら構わんが…本当にあんな若僧を入れるのか?」
「へぇ…。テースター部長が人材を欲しがるとは。何か新しい策でもあるのか?」
「うむ。まだ実験段階だが新しい強化パーツを開発中でな、その被験者に丁度良さそうなのでな。上手くいけば、我が社の戦力を大幅に増強出来るかもしれん。」
「なるほど、つまり実験体として人員が欲しいということか…。まったく、テースター部長も人が悪いな。」
ニャロースが軽口を叩く。しかし、そんな事を言われても私は何も思わない。
私はこの総合商社セルの目標を果たす為に存在しているのだから、その為ならどんなに犠牲が出ようと関係ない。
「さて、今日の面接は次で最後か。次の人は…定年後のバイト志望か。おいおい、今度は随分と歳を取った人が来たな。」
「ふむ、しかし、中々良い経歴の持ち主だぞ。大手企業で長い間働いている。ブランクはあるかもしれないが、社会常識は身に付けているだろう。」
平蛾博士がそう言うので、経歴を見てみる。なるほど、確かに経歴だけ見ると、かなりの有力な人材だったようだ。即戦力として働かせることができるだろう。しかし、何故か履歴書の顔写真を見ていると懐かしい様な不思議な気分になる。(何故だ?今までこの人とは一度も会った事はないはずなのだが…)
「テースター部長?どうかしたのか?」
「うん?ああ、いや何でもない。さあ、部屋に呼んでくれ。」
そう言うと、少しした後コンコンと扉をノックする音がする。どうぞ、と平蛾博士が言った後、写真の男が部屋に入って来る。やはりだ。私はこの人と会った記憶はないのに、何故かこの人を知っている気がする。
「今日はお忙しい中、お越しいただきありがとうございます。では、面接の方を始めさせていこうかと思います。」
私はこの感情に不信感を抱きながらも、面接を進めていく事にした…
「いやー、やはりずっと大手企業で働いていただけはある!我が社への理解もあって中々有望な人材でしたな。」
「そうか?俺は知識だけはあって使い物にはならない感じがしたがな。それに、あの歳だと戦闘員としてもろくに戦えなさそうだがな。」
「それなら、雑用として採用すればいいだけだ!やはり、会社に必要なのはああいった知識のある人材なのだよ!テースター部長もそう思うだろう?」
やはり変だ。先程の面接を行ってから今まで感じた事のないような感情が自分の中で渦巻いている。
(まさか、私はこの会社に入る前にさっきの男と会っていたのか?分からない…何も思い出せない…)
「おい、テースター部長!聞いているのか?」
「あ、ああ。すまない、何の話だったかな?」
「どうしたんだ、テースター部長。先程から随分とボーッとしているようだが、アンタともあろう方が何か思う事でもあるのか?」
「いや…御二方には関係ない事だ。気にしないでくれ。」
「それなら良いが…アンタに限ってない事だとは思うが、あまり仕事に支障をきたすことはないようにしてくれよ?」
ニャロースが注意してくる。まさか、会社一の怠け者であるニャロースに注意されてしまうとはな。それ程、私自身も今の感情を気にしているという事なのだろう。しかし、それで日々の業務に支障が出てしまっては会社に悪影響を及ぼしてしまう。そうならない為にも今日の事は忘れる事にしようと思う事にした。過去の事などどうでも良いのだ。我々の世界征服の目標の為ならば。
それから数日が経ったある日、私は社長に呼び出された。社長は普段は仕事で外に出ている為、会社内で見掛ける事などない。ましてや、今までに社長から直々に呼び出された事など一度もないので何故自分が呼び出されたのか疑問に思ってしまう。そして、不思議に思いながらも社長室のドアをノックする。
「入りたまえ。」
中から社長の声でそう言われたので私はドアを開け、中に入る。しかし、意外な事にそこには誰の姿も無い。
(どう言う事だ…?確かに声は聞こえたはずなのに…)
私が不信に思っていると、また部屋の中から声が聞こえてくる。
「すまないね。急に仕事が入ってしまって、外から通信をさせて貰っているよ。呼び出しておいて、顔を合わせることが出来なくて申し訳ないと思っているよ。」
「いえ、社長からの呼び出しとあれば向かうのが部下の務めなので。それで、わざわざ呼び出してまで私に話しておきたい事とは何でしょうか?」
「ああ、そうだね。早速本題なのだが、先日アルバイトの面接を行った時、君の様子がおかしかったと言う話を風の噂で聞いてね。君にはあまり感情表現がない様にプログラミングしていた筈なんだが、そんな君が動揺していると言うのは余程の事があったと思って呼び出した訳さ。」
「それは申し訳ございません。社長の手間を取らせる程の事では無いので、ご心配なさらないで下さい。ただ、アルバイト志望の人を見た時に会ったことも無い筈なのに懐かしい様な気持ちを感じただけです。仕事に支障を出す様な事はしません。」
「ふむ。しかし、その相手と君は何か深い縁があったのかもしれない。それに、これからそういった人物とまた会う機会があるかもしれないからね。その時に今回みたいに動揺していては良くない。君の過去の記憶は仕事を行うに当たって必要無いものだと思ったので改造する時に消させて貰ったが、一度思い出しておこうか。」
「私の、過去の記憶…ですか…。」
自分の過去の記憶。私は改造された時からこの会社の為だけに命を尽くすと誓った身であり、自分の命、ましてや自分の過去になど毛程の興味もない。しかし、社長の言う通り、これから先、今回の様に自分が知っているかもしれない人と遭遇した時にまたむず痒い気分を味わうのは不愉快だし、最悪、仕事に支障を出してしまうかもしれない。
「さあ、どうする?過去の記憶を思い出すかい?君の過去が必ずしも栄光のあるものだとは限らないから、私はどちらでも構わないが。」
「…いえ、たとえどんな記憶でも今の私からは思い出しておくに越した事は無いかと思います。」
「分かった。では、私の方から平蛾博士に頼んでおくよ。出来たら君に渡す様に伝えておくから、君は完成まで待っていてくれ。では、これにて解散とさせて貰うよ。良い報告を楽しみに待ってるよ。」
「分かりました。貴重な時間を割いていただきありがとうございました。失礼します。」
そう言うと、社長の声は聞こえなくなる。どうやら通信が切れた様だ。
(それにしても、自分の過去か…。今まで一度も考えた事は無かったな。)
今までは興味無かったが、いざ知る事が出来るようなるのであれば、多少は気になるものである。果たしてこの会社に入る前の自分がどんな人間だったのか、性に合わない様な事を考えながら装置が完成するのを待つ事にした。
社長に呼び出された日から更に一週間が経ったある日、平蛾博士から例の記憶を呼び覚ます装置が完成したとの連絡が届いたので取りに行く事にした。
「全く、社長も人遣いが荒い…。こんなに作るのが大変な装置を一週間で作れと言うのだから、過労死してしまうかと思ったぞ!」
平蛾博士から渡された装置はヘッドギア型の物で、どうやら頭にはめて起動することで過去の記憶を追体験できるらしい。
「平蛾博士よ。装置の製作に感謝する。これを使えばやっと…。」
「それにしても、テースター部長がこの様な装置を欲しいなんて、何か変わった事でもあったんですかな?てっきり、貴方の様な合理主義者が自分の昔の事なんて興味無いと思っていたのですが。」
「平蛾博士よ、あまり人の事情にづかづかと踏み込まないで頂けるかな?それに、何か理由があったとしても決して貴方に話す様な事は無い。」
「むう…分かったよ。では、それを渡した訳だし、私はこれで失礼するよ。…全く何で私がこんな苦労しなければいけないんだ…私は部長なんだからもっと部下を働かせるべきだろう…。」
小言を言いながら平蛾博士が去っていく。
(さてと…では、使ってみるとしようか)
私がテースターとして改造される前の、生まれ変わる前の記憶。どんな記憶であれ、それを知る事で今の自分のこの胸のモヤモヤを消せるならそれで良い。私がこの装置を使いたい理由はそれだけだ。
私は装置を頭にセットし、そして電源を起動させる。すると、視界が段々暗くなっていき、そして…。
「……!…いて……のか!」
何だ?何処かから声が聞こえて来る感じがする。これは記憶の追体験に成功しているのか?
「…い、新入…!お前…言って……!」
段々声が鮮明になっていく。それと同時に、今まで暗かった周りの風景も徐々に明るく、視認できる様になる。そして、自分の今の状況を理解する。
「おい、新入り!聞いているのか!」
突然怒号が飛んで来て私は驚く。周りの景色や見た事の無い人達から察するに、どうやら装置は上手く起動したらしい。しかし、これは一体どういう状況なんだ…?
「あぁ、すいません課長!ええと、何でしょうか…?」
「何でしょうかじゃない!お前が提出した書類に記載ミスが多過ぎる!どんな教育を受けて来たんだ!?」
「もも、申し訳ございません!先輩逹に他にも仕事を頼まれていまして…」
「言い訳をするつもりか!全く、学生気分で働いて貰っちゃ困るんだよ!頭の良い大学を出たからって調子に乗ってるんじゃないか!?」
「す、すいませんでした!」
「分かったら、今日中にこの書類を書き直して再提出しろ!急げ!」
…何なんだこれは?まさか、私が怒られているというのか?という事は、この怒鳴られている若者が過去の私という事なのか…?そして、この怒鳴っている上司。今、課長と呼ばれていたが、この顔…、先日セルのバイト面接に来た男ではないか。まさか、あの男が私の元上司だったというのか?
それにしてもこんな見るからに役立たずな奴が私だったというのか…?あまりの予想もしていなかった事に私は衝撃を受ける。しかし、この記憶だけではまだ分からない事が多過ぎる。私はもう少し先まで記憶を見て行く事にした。
自分の過去の記憶を観ていく内に、記憶が消える前の自分がどういった人物だったのかというのが段々分かってきた。どうやら私は勉強だけが取り柄の若者だった様で、大学は国内でも偏差値上位のT大学に入る程の頭の良さだったらしい。そして、そのまま成績トップで大学を卒業し大手企業へと就職が決まった。しかし、性格に難があり、頭が良いことで他人を見下したり自分の感性だけを信じて人の意見を聞かないという事があり、友人と呼べる人はいなかったようだ。そしてそのまま就職した為、会社内でも対人関係は最悪。更に、勉強だけをしていた為、社会経験をほとんど積んでおらず仕事の出来は悪いは効率は良くないはで会社内での成績は一番下だった。しかも、どうやらこの大手企業はかなりのきつい仕事だったようで、新人だというのにサービス残業、休日出勤は当たり前、まだ教わった事の無い仕事を平気で任され、失敗すれば上司からの怒号が飛んでくる。特に私が勤めていた部署の課長が厳しく、常に誰かに対して怒っており、その中でも癇に障りやすかったのか、過去の私が怒鳴られる事が多かった。
過去の私はそんな会社での生活を続けていたが、半年程経った時にストレスに耐えられなくなり会社を退職する決意を決めた。
「課長、すいません。少しお話ししたい事があるのですが…。」
「何だ?私は、今忙しいんだ。お前なんかに構っている暇はない。」
課長にはそう言われて構ってもらえない。それでも私は、会話を続けようとする。
「実は、弊社を退職させて頂こうと思っているのですが…。」
「ああ、そう。お疲れさん。」
そう言われて、私は絶望している。それはそうだ。半年頑張って会社で働いてきたというのに労いや惜しむ様なことも無く、一言それだけ言われたのだ。過去の私もこれには食い下がろうとする。
「いや、あの…もう少し何か残念だとか労いの言葉とかは…。」
「ああ?そんなのある訳ないだろ!お前みたいな役立たず、居なくなって清々するわ!言っておくけどな、お前の代わりになる人間なんていくらでもいるんだよ!解ったら、早く目の前から消えろ。目障りなんだよ!」
私の背後から冷たい視線を感じる。更にはクスクスと笑う声も聞こえてくる。それはまるで、課長が言うように私はこの会社には必要ない存在であるという事を暗に告げている様であった。
気が付くと私は会社から逃げ出す様に走っていた。自分のプライドをバラバラに壊され、会社内の何処にも居場所を感じられなくなった私は、早くここからいなくなりたいという一心で会社から出て行く。そうして過去の私は、会社を辞める事になった。自分の今までの人生を全て否定される様な経験をしながら。
そこでまた景色が暗くなっていく。どうやら装置の電源が切れたようだ。そして辺りが真っ暗になったので、頭から装置を外す。するとそこには、いつも通りのセルの社内の風景が広がっていた。
(そうか。あれが私が無くしていた過去の記憶か…)
自分の過去の記憶を見て、何故あのアルバイトを希望して来た男に懐かしむ気持ちが生まれたのかそれがよく分かった。あれだけ過去に怒鳴られ、貶されていれば身体にその記憶が染み付いてしまうのも無理がない事だろう。しかし、それ以上に、自分の過去の記憶を観て、あれだけの大手企業がセルと変わらない仕事のやり方を行なっていたという事が知れたのは大きな収穫だったかもしれない。それは我々の今までのやり方が間違っていなかった事の証明になるのだから…。
それから数日が経ったある日、社長からの電話がかかって来た。
「お疲れ様です、社長。今日は一体どういったご用件でしょうか?」
「いやね、君が自分の過去の記憶を思い出したという事でね、何か君の心境に変化があったのか気になってしまってね。それで、調子はどうだい?」
「心配ありません。このテースター、今更自分の過去を知ったところで仕事に対して何も思う事などありません。寧ろ、私が務めていた大手企業、そこがセルと同じ仕事の取り組み方をしていたことで自分の仕事のあり方は間違っていなかったという自信に繋がりました。」
「ほう、なるほど!それは良かったよ!此方も記憶を思い出す機会を用意した甲斐があるというものだ。それで?君の元上司のアルバイト希望についてはどうするつもりだい?」
「そうですね…いくら人数が欲しい時期とはいえ、あの様な短気で高齢な男、我が社に入れても何の得にも繋がらないかと思われます。不採用でよろしいかと。」
「ふむ。それは、君個人の過去の恨み辛みの感情を抜きにして言っているのかい?」
「もちろんです。それが一番会社の為になると思っています。」
そう私が言った後、電話の向こうから社長の笑い声が聞こえて来る。
「アッハハハ!君は本当に優秀な部下だよ、テースター君!では、これからも我等が目標の為、会社の為にも精進してくれたまえ。」
「はい。期待に応えられる様に善処します。それでは、失礼します。」
そう、もう私には自分の過去の事などどうでもよい。社長の目的の為、私はこれまでと同じ様に働き続けるのみ。それがこの私、産業経済部部長テースターが生み出された理由なのだから。